2011年8月17日水曜日

佐伯祐三

 今日って言っても日付は変わっちゃいましたが、かねてからお伺いしたいと思っていた場所へ行ってきました。
 絵を描き始めた頃だから16歳くらい…美術は趣味って思ってた頃だから14歳くらいからかな。当時の美術の教科書の副読本に載っていた「リュクサンブール公園・田辺市立美術館蔵」は凄い描き方だなぁ…でも魅了されたというか、でも何故か心に引っかかる絵でして、その魅力は高校2年生の頃まで燻っていたのですが。ちなみにその副読本に載っていた西洋編の「ロダン『パンセ』(カミーユ・クローデルをモデルにした大理石の彫刻) ・オルセー美術館蔵」の美しさを観て彫刻家になろうと決心したのはまた別の日にお話でも。
 さて本日って言っても昨日ですか佐伯祐三さんがパリで客死された日なんですよ、8月16日は。
 高校三年生の今くらいの時期、どうしても会いに行きたくなって、自転車に乗って…wあれから23年の月日が過ぎ去りました。
 お寺の場所の記憶が定かではありません、一方通行逆走しそうになったりしながら20分ほど周辺を車でうろうろ。
 ようやくたどり着きました浄土真宗本願寺派光徳寺…
 マニア垂涎の聖地です。もちろん今回は大人なのでお花を携えてのお参りです。
 倶會一処と刻まれた墓石が新しくなっていました。…私も奥さんのお墓建立しないといけないんだろうけど…何だか遠くへ逝っちゃいそうなので、今住んでいる市営の墓地が空くのを待つしかないですね。それまでは近所のお寺にお預かりして頂く予定ですが。
 はてさて今回はコレを持参しました。

 う~ん外箱は鋲で留めてあり何てごつく、画集の天、地そして小口は金色…贅沢な限りです。
 昭和12年発行の山本發次郎氏コレクションの集大成とも言える(多分画集に未掲載の作品も多数あったでしょうね )豪華限定500部限定の豪華画集です(奥さんには値段の事黙っていましたが25万円しましたw)。ちなみに上記の文章は ─本書は五百部限定版にして、五部(自第壹番至第五番)は用紙を凡て越前國岡本村別漉による局紙及び鳥の子紙を用ひ、四百九拾五部(自第六番至第五百番)は原色版臺紙のみに別漉局紙を用ふ。本書は下記の番號に當る。─ (座右寶刊行會・五百部限定版佐伯祐三畫集・昭和12年発行より引用)…著作権って50年だったっけ?まぁ1937年発行の74年前発行の本だから詳しい人いたら教えて下さい。当然の事ながら削除要請に応じます。
 この本を持ってお参りに行くと、ご親族の方がわざわざ出てきていただいて本堂へと上がらせて頂きました。
 戦争の影響でしょうか、光徳寺さんにもこの画集は残っておらず、№088だったかな?近年に買われたそうです。多分上記の№001~005までの中の一冊は山本氏が進呈されていたんでしょうけどね。しかしどの資料見てもこれらのナンバーの話は出てこないので現存はしていないんでしょうね、どんだけ豪華だったのか観て見たい気がしますね。ちなみに野見山暁治氏は靴を買いに行った途中の古本屋でこの画集を見つけ、靴の購入代金をそのまま本代に当てたそうでw。この画集はまだ見たことの無いパリへと想いを募らせたそうで、奇しくもパリ留学が決った時に旅費のたしにするために売ったそうですが。

 本堂へ上げていただくと…
 猫のお出迎えですw佐伯家族が悪夢を見た末裔かなw
 色々と興味深いお話をさせて頂いて…

 「没後80年記念佐伯祐三展─パリで夭折した天才画家の道─・大阪市立近代美術館建設準備室蔵」より引用
 「(顔の無い)立てる自画像」は美術史上に残る未完の名作と思われますが、しかしご遺族の方達はそういう観かたではなく、本当に人間佐伯祐三を想ってのこと、痛ましくて嫌だとか。今まではスパンと竹を割ったように終わった人生に潔さというか、夭折に憧れを持っていたのですが(僕も身内が夭折したので今となっては不謹慎ですね)、こういう観かたもあったんだなと。だからご遺族の方達は前向きなお話と素敵な作品の会話で話が弾みました。
 ここでこぼれ話を一つ。一度だけ佐伯祐三の「ノートルダム(マントラ=ジョリ)・大阪府立北野高等学校蔵」が光徳寺へ里帰りしたことがあったそうです。その時は絵を運んだ車を挟んで3台で厳重に運ばれてきたとの事。それはそれは凄い警備だったそうです(この絵一枚で新車のフェラーリが10台以上買えるもんなw)。こんなあけっぴろげな所にそんな大事な物置かれへんわ~と笑いながら仰られたのが心に残っています。また早く大阪市立近代美術館の設立を望まれていました、コレは大いに同意。いつまでああいう名作群を塩漬けしておく気なんでしょうね、大阪市は。


 佐伯祐三といえば十数年前大規模な贋作騒ぎがありましたが、これらの事についても憤慨を通り越して、どうしたらいいのやらと困惑されていました。最近でた出版意図の分からない本を書いた人、コレくらいは最低でも読んだよな?
 あと引用先を書けよ、最低限のルールだろ。写真も何だよ穢いもの載せやがって。所蔵先から確認とってるんだろうな?自費出版だからって許されると思うなよ。これら読んだだけでも匠秀雄氏が朝日晃氏に対抗意識をずっともっていて先走ってしまった失敗だというのに気が付くよ。

 ちょっと頭に血が昇ってしまいましたが、上記のほかに倉庫にあと数冊図録があったはず。同じ様な作品ばかり載っているのに集めてしまう煩悩の数ですw 中でも同じ本が2冊あります。実は二十年近く前パリへ行った時に、佐伯祐三の写生場所を訪ねる事を計画していて用意していたのですが、出発のドサクサに忘れてしまいパリのジュンク堂だったかな?そこで!購入できました。そのあとジュンク堂へ足繁く通って友達に笑われた事を思い出します。

 今日はそのあと一路奈良へ…昔私が予備校で教えさせて頂いた?時の教え子さん達と会食。楽しかったな。Aさんお幸せに。
 このお酒、コブラや蠍も入っていたんだけどw車なので残念ながら呑めませんでした。こんなの呑んだら鼻血出して大変な事になりそうだw。

 当然シラフで帰宅し嫁さんを送り出しました。
 蝋燭を灯した後、ぼんやりと煙草を吸っていると…
 別れを惜しむかのように蝉が飛び込んで来ました。

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2 件のコメント:

kanae さんのコメント...

濃密な一日!

光紀/KOUKI さんのコメント...

そうですねw
佐伯祐三さんのお墓参りの後、また一つ用事を済ませて、西大寺の所で道が分からなくなっちゃってw
奈良に立体道路作るのって風情ないよね。