2011年10月18日火曜日

井上実展

 東京国分寺のswitch pointというギャラリーで現在「井上実展」が10月23日まで開催されています。


 井上実君とは高校3年生の時からの付き合いだから、かれこれ23年程の付き合いになりますね。
 僕は芸大美大進学の予備校を高校2年生の基礎科から通い始めていたので、ただでさえ大きい顔をでかくしていたので初対面の印象は互いに悪くw、口をきくようになるまでに少し時間がかかりました。
 僕たちが通っていた予備校は今は校舎は移転しましたけど、予備校大手四天王wの一つの大阪校で、生徒数も僕らが通っていた頃には生徒数のピークを迎え、油画科昼間部夜間部合わせて60人近くいたんじゃないのかな?
 話は少しそれますが、人間としてとてもいい先生に恵まれていたのですが、東京藝大合格者は設立以来現在に到るまで十数人程度じゃなかったかな? しかし振り返ってみるとメジャーマイナー(俺w)含めて作家になった人の数は多分パーセンテージの高い予備校だったと思います。
 そんな環境での高校3年生で受験を意識し始めた頃、群を抜いた素描の名手が一人いました。僕は基礎科上がりの古参風情でしたが「何やコイツ、上手いやんけ。変な制服着てるくせに」…井上君は関関同立のうちの一つの付属高校出身で、僕はそこの制服を見たことが無かったので、井上君の明晰な頭脳を知るのもまた少し時間がかかりました。また井上君は某大手予備校へ来るまで小さな画塾で腕を磨いて、そこへやってきた時には既に大学のその先を見つめていて、またその眼の鋭さを忘れる事が出来ません。
 この頃の井上君はダヴィンチやレンブラントが大好きでいつも明暗を基調とした黄金の光を感じさせる油絵を描いていて「古臭せーんだよ、もっとおしゃれに描きな」毎回講評時はこの言葉で済まされていましたが、頑なに自分の信念と美意識を持っていて、この言葉はお互いが浪人を終えるまで続いていました。時にはレンブラントの模写を描いたと見せてくれることもありました(「石段にひじをつく少女」描いてたよね)。僕は僕で色面の抽象画にはまっていて何だかよく分からない絵を描いていましたがw
 
 忘れられないエピソードも数多くあり、たしか現役時(僕たちは2浪して東京造形大学に入った)の夏期講習で自画像を描く課題があり快調に描いていた井上君に東京校からやってきた講師の先生が「ちょっと代わってみな」とレンブラント調の自画像の黒くなった影にカドミウムレッドをペインティングナイフでざっくり絵の具を乗せられると井上君の顔色が鬼の形相に変わり、その先生がその場を立ち去ると、その形相のままおもむろにテレピンオイルでそれを綺麗にふき取り、そして何事も無かったように描き進めていました。一時間後、僕の隣で描いていた井上君の頭を「バチン!」顔を怒らせたその先生が何で消したんだ!と(今じゃパワハラだなw)。先生の存在を無視して自分の美を追求して描き進める姿に圧倒された事を今でも思い出します。
 
 馬鹿な事も色々したけど、それはお互い家族を持つ大人になったので割愛w

 リンク先を見てもらうと上記に書いたような作風から180度変わったような作品になっていますが、何度か東京に行く機会があって個展やアトリエで作品を観る機会があり、根っ子の部分は変わりはないんだろうなと思いました。若き日の頑なさやデッサン力、それぞれが歳を重ねるごとに軽やかな色彩と形態に深く変化し、かって厳しく睨んでいたモチーフが、それを愛でる優しさに変わり、そしてそれが滲みでているような気がします。

 いつも略歴の所に僕とした二人展を忘れずに書いてくれています。
 僕は取り合えず表現の世界では名前を捨てて号で作品にしるしていますが、それに恥じないよう製作に命をかけていきたいと思います。

 展覧会へ行かれた方は感想をお教えくださいね。

…DM送ってよw

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