2012年2月11日土曜日

NETSUKE Crazy

最初にことわっておきますが僕は差別主義者ではありません。

 朝から子供が出かけたので今日は一日オフ。
 素直に眠ってもよかったんだけど、何故か眠る気がしなかったのでケーブルテレビをポチっと・・・おお今日はデジタルリマスターした帰ってきたウルトラマンだ。
 通はウルトラセブンですが、子供の頃、再放送でちょと怖かったのが今でもトラウマでw リアルタイムはウルトラマンタロウなんだけど、小学校から帰ってくると「帰ってきたウルトラマン」が再放送されていて、団次郎さんとマットビハイクル(マツダ・コスモスポーツ)のかっこよさに子供心に憧れがあって今でも大好きです。出てくる怪獣は最初の頃はタッコングやツインテール・・・カッコイイ怪獣はこれくらいかw あとはウルトラマンやウルトラセブンの怪獣や星人に対して子供心に「なんじゃ、コレは?」というようなモノが多かったのは事実ですが、「怪獣使いと少年」なんていう名作もあるわけで。今振り返ってみるとその当時の時代背景を怪獣で訴えていたんでしょうね。

 放送開始まで時間があるなぁ。数年前にBSで録画してそのままにしていた「空手バカ一代」を観ようと。

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・・・外国の人、上のアスキーアートわかんないだろうなw
 漫画の連載が始まった当初、極真空手の門弟の人たちは「大山館長(当時)をバカ呼ばわりするとは何事だ!」とお怒りになられていたそうですが、その後の極真空手の発展を担っていたのは否定できないでしょう。
 さてここで「バカ」というある意味単体で使うと全くの否定の言葉が出てきます(放送を見終わると手塚治虫の漫画の最後に出てくる差別云々というような文章が出てきますが・・・)。
 「バカ」「馬鹿」「バ~カ」・・・言われたらムカつきますよね。代名詞でいいのかな?それが付くとあら不思議、一転ほめ言葉になるんですよね。「釣りバカ」なんて今でも使われていますよね。「根付バカ」・・・コレはある意味ではほめ言葉でしょうが、やっぱり江戸文化を理解した上での根付じゃないといけないので「根付(Only)バカ」だけではいけないなぁと思っているわけでして。ましてやチャイナ根付に代表されるような「バカ根付」は造ってはいけないなぁと心に誓ったり。

 さて「帰ってきたウルトラマン」の放送が始まりました。「戦慄! マンション怪獣誕生」という回です。今では取り壊しやゴーストタウン化してそうな2Kぐらいのマンションが舞台で(こういうマニアックなHPがあります、ウルトラマン大好き(あえてバカとは言いません)なんだろうなぁ。東京にいた頃、このHPがあったら絶対に坂田自動車を探しに行っただろう)、昭和の3C(カラーテレビ、クーラー、カー)を地で行くような舞台背景ですね(この放送の前年には大阪万博が行われていました、僕は母親のお腹の中で観に行ったそうですが)。ママのセリフなんて「ああ鍵っ子ってこの頃からだったんだよなぁ」と団塊世代ジュニアの涙腺を押すようなものです。
 番組開始早々宇宙小怪獣クプクプという張りぼてが捕まって、旧千歳清掃工場の造成地で小学生が見守る中、公開処刑をしています(MAT何考えてるんだw)。張りぼて・・・宇宙小怪獣は発泡スチロールの身体を粉砕されて、肉片を飛び散らかします。それを上記のマンションに持ち帰った小学生が・・・という内容なのですがいきなり「あ○のこ」と出てきました、確実に地上波だったら無音になるんだろうなw その後も何事も無かったようにもう一度「宇宙怪獣のあ○のこなんだぜ」・・・そして極めつけはエキセントリックなマンションの管理人が「この怪獣キ○ガイめ!」と年端もいかない子供に向かって叫んでいます。
 さてここでも「キ○ガイ」単体で使うと僕の大嫌いな差別の用語として存在するのですが、この場合の怪獣キチガイとは(書いちゃったw)ほめ言葉として尊重すべきではないかと思うのですよね。根付キチガイ・・・これはコレクターさんにはほめ言葉として(影で)かけてあげるべきでしょうし、実際大枚はたいて買いあさるコレクターはまさに言葉の通りだと思うんですよ。普通の人から見たら何で手のひらに乗るような彫刻が家を買えるような値段で取引されるんだ??? 疑問符がいくつも付くような世界です。まぁ僕もこの世界に足を踏み入れて腰の辺りまで漬かって身動きが取れなくなってきましたが、早く首の辺りまでどっぷりと漬かって、根付キチガイをうならせてみたいものです。
 造る側も根付キチガイでいいのかというとコレは微妙に違って、時に熱く、また冷酷な眼を持つ根付名人・・・根付マスター、根付マイスターなんですよね。コレを目指して今夜もまたひっそりと地道に雲龍の続き(まだやってます・・・)、鱗と対峙していきます。

 子供が興味持つかなぁと思って昔、アトリエ倉庫から引っ張り出してきたのですが、子供はポケモンマスター目指しているので興味は全く示しませんでしたw(ポケモンも大人じゃないと理解できないような設定の映画になってきたし、モロボシ博士とその妻アンヌさんとか、オクタンという蛸に似たポケモン使いの少年の名前がハチローだったりw 大人が見ても楽しめます) 上記のものは覚えているだけの帰マンwの怪獣消しゴムで、ウルトラシリーズ全部で200個ほど残っていました。そしてコレがヤフオクに出すと5000円以上の値が付く消しゴムハヌマーンです。このハヌマーン著作権云々でタイと揉めて黒歴史になっちゃったんですよね。タイに行った時DVD買っておけばよかった・・・

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2012年2月6日月曜日

ワシントン条約をちょっとだけ真剣に考えてみる

 先日紆余曲折の末、やっとギターが手許へ届きました。
 ニューヨークを三ヶ所ほどウロウロした後、ケンタッキー州、アラスカ州(荷物追跡でここに行ってる時はどこまでたらい回しされるんだと思いましたが)、そして関空・・・2012/01/29 12:20 空港到着時刻 空港上屋スキャン(輸入)(ここいらへんはちょっとドキドキw)、仕向国センタースキャン(開封するなよw)、通関業者により登録されました(何とか突破か!)、2012/01/30 9:29 配達済み・・・
 
 さて無事に我が家へ到着するまでには色々と問題が浮上してきました。前にも書いたとおり、ネックにはローズウッドを使用していて、それはワシントン条約で指定されていて輸出入が制限されているんですよね。輸出国の輸出許可書が必要だ、なんて言われても個人のオークションe-bayですからそんな物あるわけないでしょう。ましてや made in japan の製品なのに。
 次にメーカーに、これはローズウッドと銘打っているがそれの近縁種だって証明書を出してくれ!何回電話連絡したことでしょうか。メーカーパンフッレットなどで書き切っている以上これはなんちゃってローズウッドですよなんて言えない。
 これはe-bayの日本語訳サイト『sekaomon』でのやりとりで、輸出許可書がないと輸出することが出来ないと日本へ送れないの一点張り。これは正しい姿なので、逆に褒められる行為ですよね。遵法は大事な事だ。
 昨年末は高くついたけどいい勉強になったかと、半ば諦めていたのですが、最後の手段、個人輸入に頼るしかない! そういうわけで最初に書いたようにギターはひと月近くアメリカを旅していたんですね。
 アメリカ留学をしていたギターは何事もなかったようにいい音色を奏でています。

 さて根付においてもワシントン条約は重要な問題です。象牙が一番顕著な例ですよね。まぁぼくは彫ってみたいなぁとは思いますが、黄楊の魅力は捨てがたく、まずは象牙を入手しないといけないので、しばらくは手を出す事はないと思いますが。
 wikiで『象牙』をみていると。2008年にはCITESによって許可された象牙競売に日本と中国が買い漁ったとあります。どこに流れていったんだろうな、象牙一本丸ごと使った彫刻なんてニーズもないだろうに。チャイナ根付だと嫌だな。正しく必要とし使われる所に流れて行くといいんだけどな。
 そして僕も黄楊だからと安心していてはいけません。眼の象嵌に『鼈甲』がいるんですよね。
 鼈甲は比較的安価で江戸時代のかんざしが某オークションで入手できますが、『業者は条約の履行を確実なものとするため、原材料のストック量を経済産業省へ報告することが義務づけられている。』・・・僕も業者になるんですかね(まだ売った・・・売れるの作ったことないけどw)。
 この条約に縛られて使用する材料が安物のプラスティックになっては本末転倒です。その時が来たらやれるだけの事をして、もっと勉強すべきだと思います。
 朝熊黄楊もある意味そうなりつつありますね。師匠は100万単位で原木を買ったと仰っていましたがwぼくは師匠から譲っていただいた朝熊黄楊はもっと技術が上達してから使おうと心に決めましたので師匠が譲ってくれるときは万札用意して授業に参加したいですね。

 昨日、愚息が短歌で県の教育長賞を受賞したので授賞式に参加してきました。見た目は僕のDNAを受け継いでいるのですが、中身は嫁さん似なのかなw

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2012年2月2日木曜日

16年前、心に降り積もった雪

毎年この時期になるとよく見る悪夢。10年以上前に足を洗ったのですがいまだに受験の夢を見ます。


 先日テレビのニュースで東京での降雪のニュースを見ていると、八王子駅前でレポートがあり、僕が知っているそれとは風景が変わっていましたが、懐かしさと切なさにおそわれました。
 神崎川の水で産湯に浸かり、光化学スモッグで肺を鍛えられる阪神工業地帯に生まれ育った僕は「こんな田舎に住めるか」と思ったものです(初めて自然のウグイスの鳴き声を聞いたのは大学の高尾の校舎でしたw)。なんだかんだと言いながら八王子には大学学部4年間と研究生との併せて5年間住んでいました。
 
 僕の通っていた大学は美大の中で最初に入試が行われ、八王子城址にあった高尾校舎は狭かったのか一次試験は拓殖大学を借りて学科試験が行われていました。
 この一次試験はなかなかの曲者で、国語、数学、理科、社会、英語、美術工芸・・・以上だったかな?この内から2教科選択し解答するというものでした(今は学科はなくなって、鉛筆デッサンだったかな?)。
 芸大美大進学を志した高校1年生後半の頃はまだ大学の違いや、学部の内容なんて分からないものだから、共通一次試験(一番最後の世代ですw)に合わせて高校2年生の時に授業の選択を難しくしたんですね。高校に入った頃は神戸大学を目指していてそこそこの成績だったので、2年生も特に問題はないだろうと思っていたのですが・・・。
 2年生から予備校の基礎科に通いだし、絵を描く楽しさにのめり込んで勉強にかける時間はそのうち絵を描く時間へと変わっていきました。
 僕の出身高校は今では偏差値が60を超えていますが、僕が高校受験した頃は総合選抜というくくりで市内の高校の学力の平均を合わせていたので、だからそれ程定期テストも厳しくなく、赤点ぎりぎりの成績でも余裕で進級できまして(代数幾何のテストを何が書いてあるのかさっぱり分からず白紙で出して思いっきり怒られましたがw)、高校3年生の3学期は朝から予備校に通っていたので定期試験を無視して無理やり卒業しました。
 その定期試験を無視して受験したのが東京造形大学で、受験で初めて高尾駅に降り立った時、無性に家に帰りたくなりました。
 ・・・ねっ!
 都合3回受験をしたのですが、学科が選択できるせいもあってか、国語と美術工芸を選択し一次試験は落ちる事がなかったのですが、3回目くらいにはどうしようもないほど阿呆になっていたのですがw
 思い出した。3回目の受験へ行く時、僕の通っていた予備校は大手だったので、入り口付近でテレビがそこの受験生にインタビューしていて、前にも書いた井上君とインタビューされている受験生の後ろの方で阿呆な行動をしてテレビに映ろうとしていると「君たちもテレビに出たいの」なんて言われて、「受験生に言ってはならない一言は?」と尋ねられて僕はありきたりの返答を、井上君は「●●!」・・・放送禁止用語をw
 
 自分の過ごした時間には『if』なんていうものはなく、振り返ると必然の選択で今があるわけで。予備校の基礎科で彫刻科志望だったのを「油絵は自由だから」という甘言につられて油画科へ変更したのも自分の選択で、これをしていなかったら大学卒業後、予備校の講師も出来なかったわけで、教え子さんたちに刺激を受ける事もなくいたでしょう。また、東京造形大学という選択(これは選択されたのかな?)があったおかげで今に続く木という素材に、そして心の師匠と出会えたわけで。

 16年前の今の時期八王子はよく雪が降り積もった。なごり雪を口ずさみながら大学からの帰り道、先を見ると複雑に絡み合っている足跡も、振り返って今たどり着いた道は一本で、光り輝いていたり鈍い光を放っていたりしていた。これから先何を選択するかは全く分からないし、気がつかない事のほうが多いだろうが最良の選択をしていきたいと思います。

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