2012年2月2日木曜日

16年前、心に降り積もった雪

毎年この時期になるとよく見る悪夢。10年以上前に足を洗ったのですがいまだに受験の夢を見ます。


 先日テレビのニュースで東京での降雪のニュースを見ていると、八王子駅前でレポートがあり、僕が知っているそれとは風景が変わっていましたが、懐かしさと切なさにおそわれました。
 神崎川の水で産湯に浸かり、光化学スモッグで肺を鍛えられる阪神工業地帯に生まれ育った僕は「こんな田舎に住めるか」と思ったものです(初めて自然のウグイスの鳴き声を聞いたのは大学の高尾の校舎でしたw)。なんだかんだと言いながら八王子には大学学部4年間と研究生との併せて5年間住んでいました。
 
 僕の通っていた大学は美大の中で最初に入試が行われ、八王子城址にあった高尾校舎は狭かったのか一次試験は拓殖大学を借りて学科試験が行われていました。
 この一次試験はなかなかの曲者で、国語、数学、理科、社会、英語、美術工芸・・・以上だったかな?この内から2教科選択し解答するというものでした(今は学科はなくなって、鉛筆デッサンだったかな?)。
 芸大美大進学を志した高校1年生後半の頃はまだ大学の違いや、学部の内容なんて分からないものだから、共通一次試験(一番最後の世代ですw)に合わせて高校2年生の時に授業の選択を難しくしたんですね。高校に入った頃は神戸大学を目指していてそこそこの成績だったので、2年生も特に問題はないだろうと思っていたのですが・・・。
 2年生から予備校の基礎科に通いだし、絵を描く楽しさにのめり込んで勉強にかける時間はそのうち絵を描く時間へと変わっていきました。
 僕の出身高校は今では偏差値が60を超えていますが、僕が高校受験した頃は総合選抜というくくりで市内の高校の学力の平均を合わせていたので、だからそれ程定期テストも厳しくなく、赤点ぎりぎりの成績でも余裕で進級できまして(代数幾何のテストを何が書いてあるのかさっぱり分からず白紙で出して思いっきり怒られましたがw)、高校3年生の3学期は朝から予備校に通っていたので定期試験を無視して無理やり卒業しました。
 その定期試験を無視して受験したのが東京造形大学で、受験で初めて高尾駅に降り立った時、無性に家に帰りたくなりました。
 ・・・ねっ!
 都合3回受験をしたのですが、学科が選択できるせいもあってか、国語と美術工芸を選択し一次試験は落ちる事がなかったのですが、3回目くらいにはどうしようもないほど阿呆になっていたのですがw
 思い出した。3回目の受験へ行く時、僕の通っていた予備校は大手だったので、入り口付近でテレビがそこの受験生にインタビューしていて、前にも書いた井上君とインタビューされている受験生の後ろの方で阿呆な行動をしてテレビに映ろうとしていると「君たちもテレビに出たいの」なんて言われて、「受験生に言ってはならない一言は?」と尋ねられて僕はありきたりの返答を、井上君は「●●!」・・・放送禁止用語をw
 
 自分の過ごした時間には『if』なんていうものはなく、振り返ると必然の選択で今があるわけで。予備校の基礎科で彫刻科志望だったのを「油絵は自由だから」という甘言につられて油画科へ変更したのも自分の選択で、これをしていなかったら大学卒業後、予備校の講師も出来なかったわけで、教え子さんたちに刺激を受ける事もなくいたでしょう。また、東京造形大学という選択(これは選択されたのかな?)があったおかげで今に続く木という素材に、そして心の師匠と出会えたわけで。

 16年前の今の時期八王子はよく雪が降り積もった。なごり雪を口ずさみながら大学からの帰り道、先を見ると複雑に絡み合っている足跡も、振り返って今たどり着いた道は一本で、光り輝いていたり鈍い光を放っていたりしていた。これから先何を選択するかは全く分からないし、気がつかない事のほうが多いだろうが最良の選択をしていきたいと思います。

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