梅雨明けのうだるような暑さの7月9日土曜日、祇園祭の準備が進む中、京都国立近代美術館へ行ってきました。
青木繁展です。
絵を描き始めた頃から好きだったんですよね。古臭いと言えばそれまでなんですが、なんだか一度眼にすると忘れられない魅力があるというか、黒田清輝等の洋行した画家が持ち帰ってきた情報しか無い中(今は情報過多ですよね、いい意味でも悪い意味でも)必死に西洋に追いつこうとしている力強さ、日本人としての洋画を表現しようとしている泥臭さが画面を通じて伝わってきます。
力が入っているのかw3Dにする意味がもうひとつよく分からない「海の幸」w
今回のようにまとまってみる機会はそうは無いでしょうね。特に重要文化財が二つまとめて見られる機会は地方に住む(石橋美術館にはなかなか行く機会ないしなぁ、旅行のついでになってしまうでしょうね)人間にはなおの事です。
今回数年ぶりに「海の幸」を観ましたが改めてよく観ると、これ以上手が入らないぎりぎりの所で筆を止めていますね。もう一筆、それをすると画面がガラッと変わってしまいそうなセンス、すごいですよね。だから国の重要文化財になるのもうなずけます、が、完成したのも見てみたいようなきもしますね。完成するとこれまた重要文化財ですが「わだつみのいろこの宮」みたいなあんまりぱっとしない(個人的意見ですよ)単調な物になってしまうのかなぁと思ったり。
まぁ「海の幸」は下書き線も見える未完成っぽい作品ですが、その他のそれらしい作品を観ていて気が付いた事は、結構ラフに部分だけを描き込んでいる作品が、途中っぽく見えるように描き込まれていたと言う事。これはちょっとした驚きでしたね。これがこの人のこだわりなんだろうなと、順路を戻って「海の幸」を見直すと完成したものに観えて来ます。
また今回の展覧会で面白かったのは素描ですね。きっちり描いている石膏素描は明治期らしい堅苦しいものでしたが、ちょっとしたクロッキーみたいなものは画力を見せ付ける上手く、またユーモラスなものでもありました。
そして圧巻だったのがお寺の戸板にかいた海景ですね。前から存在は知っていましたが画集などにも載っていなく、実物を初めて観ました。焼いた釘で板に波を大きく取り入れた風景。釘を寝かしたり立てたりと線の表情が戸惑いも無く完璧で。上手い人は素材が何であろうと完璧に表現できるんだなと。
晩年近く(と言っても二十代後半…)の完成した作品は売り絵っぽくって観ていて切なくなりましたね。もっと好き勝手に描けたらどうなっていたんだろうかと、明治期の一人の画家で終わっていたのかな。
夭折した作家全般に言えることだけど、「もし」はないんだろうな、そこで終わってしまっているからいいのだろう。佐伯祐三も長生きしたら荻須高徳みたいにただの絵葉書みたいなのになっていたのかもしれない。
中年真っ盛りの僕ですが、周りに自害した作家が二人、病で志し半ばで消え去られた人が三人いますが、ちょっぴり夭折した作家たちに嫉妬しながら、まだまだこれからだと思い、これ以上のものは造れないという高みに行きたいものです。生きていて、またものを造っていて最高の瞬間と絶望の瞬間が交互と無く訪れるでしょうが「ふふ~ん、羨ましいだろう」なんてのんきな事を言える瞬間を目指してがんばっていきたいものです。
あるだろうと思っていた…
「海の幸」Tシャツ、いらねw
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