2012年7月22日日曜日

たばこ


 ええ、正直に言います。
 高校生1年生の今頃の時期かな? その当時はその他もろもろ、今考えるとどうでもいいような、あの子が好きだ、勉強が難しいetc、普通の大学へ行くべきか大好きな美術の道へと進むべきか。自分の進むべき道をを色々と悩んでいて、取り敢えず大人になった気分になると少しは気分転換されるんじゃないかと、少ないお小遣いから、たしかあの頃は200円だったかな?それとも当時父親が吸っていたのを(父親はは止めて20年位になります)くすねて吸ったのか記憶が定かではありませんが、煙草に手を出しました。
 マズイ・・・これが第一印象でしたね。
 高校1年の今くらいだから、柔道部やっていたっけ? まだ当時は一日に1~3本程度。親に見つからないように、家では吸いませんでした。
 この程度の本数だから、柔道の練習も全く影響もなく続けていたのですが、ある日ふと美術の道に進もうと思いまして。中学校の美術の教科書の副読本にロダンのパンセという彫刻が掲載されていて・・・

 もう一撃でしたね。俺もこんな彫刻造りたい。
 手の骨を折るから柔道はやめて、同じ理由で単位ギリギリまで体育を休む(もともと運動は苦手だったんですけどねw)。
 この当時はまだ美術大学とやらはどういうものなのか分からないからイメージからですよね、デカダンスのw 女の子にモテたいと思っていたガキが我関せずと変貌するのには時間はそうかかりませんでした。まず髪の毛を伸ばす(コレはヘビーメタル大好きだったというのもある)。傍若無人に振舞う、こうみんながイメージする芸術家(今はスマートでおしゃれですね)に一歩近づいたと満足しながら一服。この当時のデッサンや油絵を発表する勇気はありませんが。
 高校2年生になった頃、大阪に大手予備校の大阪校ができまして、そこの美術の基礎科に通い始めました。小学校からずっと上手いと言われ続けていたのが、講評棚に並べるとありゃま。見事に井の中の蛙だったことを思い知らされ、帰り道、藻川の土手で畜生とつぶやきながら吸った味も忘れられない苦いものでした。
 高校生にもなると当然のように類は類を呼ぶというか身体からの匂いか、仲間が何人も増えて授業をサボって喫茶店へ行きスパスパ。親が働きに出ている家に行ってファミコンをしながらスパスパ。それでも一週間でひと箱吸うか吸わないかの量です。
 さて高校三年生になると背伸びのピークです。浪人になられた先輩方にお近づきになるために予備校の喫煙所で制服を着たままスパスパ。
 ここいらへんからおかしくなってきます。夏期講習になると朝から晩まで予備校にこもりっきりです。上手くいかないと喫煙所。上手く描けると喫煙所。ひどい時にはモデルさんの休憩時間ごとに喫煙所(コレは大学入試まで続いたなぁw)。
 右手のペンだこの部分が見事に茶色く染まりました。
 家に帰る前にはコーヒーで口をすすぎ、匂いを消すという(ただでさえ高い絵の具代を親が苦労して出してくれたお金を煙草に使うのも気が引けたので・・・)。
 さて無事2浪して大学へと入り、一人暮らしで何を最初に買ったのかというと、煙草ワンカートン。この頃はピークで一日に2~3箱吸っていましたね(まぁそれ以上に酒を浴びるように呑んでいましたが)。製作中の作品を眺めながら吸う一服はとても旨く色々なアイデアが思い浮かぶ魔法のひと時でした。
 大学を卒業して研究科へ入学する時に引越しをしたのですが、家具を片付けて壁を見ると見事にシルエットが残っていました。この教訓から、今住んでいるマンションではベランダでカエルを眺めながら吸っていたのですが。
 その頃は絵画科にいたのですが平面作品を造るより、檜を使った立体作品が主で、アトリエでは室内が無茶苦茶になるので、廊下でグラインダーで木を削るものだからあたり一面木の粉だらけでして(当時の絵画専攻の学生の皆さんロッカーの中まで木の粉だらけにしてごめんなさい)、こんな中では煙草を吸われたらかなわないと、当時僕の担当教官だった故稲葉治夫教授お手製の灰皿が数箇所に置かれるようになったのは僕のせいだろう。
 社会人になって現在に至るまでは一日にだいたいひと箱というペース。
 いつかやめようと思っていたのでタスポは持っていません。徐々に遠ざける準備をしていたのですが。
 最近、子供と話をしていて、この子の笑顔を奪ってはいけないなぁと思い始めて。
 とまぁこういう単純な理由ですが、いいきっかけですかね、止めるのには。

 煙草の事書いてたらまた吸いたくなってきたw
 
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